総監督の紹介

明治大学体育会スキー部総監督     成田 収平

出身      青森県弘前市
最終学歴    明治大学 政治経済学部 1987年(S62)3月 卒業
2006-2007  国際スキー連盟(FIS)に在籍 (JOC情報戦略派遣)
元役職     公益財団法人 全日本スキー連盟 常任理事、競技本部長
        国際スキー連盟(FIS) Sub-Committee メンバー
        Officials Rules and Control メンバー


コーチ・監督
1995(CAN) 1999(AUT)世界選手権         コーチ
2001(FIN) 2003(ITA) 2005(GER) 世界選手権   コーチ
2007(日本)                       FIS在籍
2009(CZE) 2011(NOR) 2013(ITA) 世界選手権  監督
1998 長野オリンピック(日本)                      複合 コーチ
2002 ソルトレイク(USA)                        複合 コーチ
2006 トリノ(ITA)                            複合 コーチ
2010 バンクーバー(CAN)                      複合 監督
2014 ソチ(RUS)                          複合 監督

2019   中国 複合ナショナルチーム                   ヘッドコーチ 


部長・副部長の紹介

部長 山内 健治 明治大学 政治経済学部専任教授

専門は文化人類学

 「スキー部部長にこの春就任したことは、とても光栄です。私は、明治大学・政治経済学部の出身で、私の恩師たちもスキー部の顧問を代々に渡り勤めていました。スキーとの関係というか思い出は、大学院卒業後、札幌の大学に勤めたことがあり、東京育ちの我が子たちが、小学校の体育スキー教室で苦戦しているのを知り、週末は、市内の公園でクロスカントリースキーを親子で必死に練習していました。スキーの辛さ知りました。スキー部の発展・活躍のためならなんでもする覚悟です。」


副部長 相原 耕作 明治大学 政治経済学部政治学科




コーチングスタッフ

◉助監督 兼 ジャンプ監督:横川 朝治(長野県)


◉ジャンプ部

  コーチ:西方 仁也(愛知)

          遠藤 友晃(東京都)                  

          成田 祐介(北海道)

      中村 優斗(長野県)

      栗田 力樹(長野県)


◉コンバインド部

  監 督:宮本 信志(富山県)

  コーチ:三ヶ田 礼一(岩手県)

          永井 陽一(岩手県)

          金子 文平(石川県)

          曽根原 郷(長野県)

      村本 直樹(長野県) 


◉アルペン部

  監 督:伊東 秀朗(山形県)

  コーチ:大盛 宏幸(北海道)

      五十嵐 玄(山形県)

      長崎 誠(新潟県)

      関口 快(長野県)

      中俣 一樹(愛知県)


◉クロスカントリー部

  監 督:黒岩 拓吾(長野県)

  コーチ:島田 正叡(富山県)

      渡辺 瑛仁(長野県)

      恩田 祐一(新潟県)

 

◉メンタルコーチ

  内田 友来(アメリカ合衆国 ロサンゼルス)


伝統

強力な先輩達の跡を後輩達が追う。その為にOBも現役も一丸となるのが明大スキー部の伝統である。


スキー部の歴史

明治大学体育会スキー部の誕生


明大スキー部は大正14年に誕生した。

山岳部のスキー班から馬場忠三郎、石川忠義、遠藤久三郎、千葉毅、明珍勝男が分離し、小樽出身の新入生・長野七郎と宮川恒夫を迎え入れて、スキー競技に本格的に打ち込むべく、明治大学で17番目の競技部を設立したのである。

この2年前の大正12年に小樽で日本初の全日本選手権が行われ、翌13年には仏シャモニーで第1回冬季五輪が開催されるなど時代はスキー競技の黎明期。明大スキー部は部設立当初から、当時の日本スキー界をリードする北大、早大の2強に「追いつけ追い越せ」と、猛訓練と人材補強に励んだ。

昭和3年には栗谷川平五郎、安達吉治の先輩ら10人の逸材を迎え、続く4年には佐々木直、横山平一郎ら7人、5年には木村円吉、大高章、大橋次郎、松丸巳与次ら8人。すべて中学スキー界の俊英であった。

栄光は時を待つだけでは掴めない。常勝のライバル校を打ち負かすには、相手に倍するエネルギーを要する――。

誇りとすべきは4人のOBを五輪メダリストを送り出したことである。昭和47年の札幌五輪70メートル級ジャンプで、冬季五輪史上日本人初の金メダリストとなった笠谷幸生(昭和42年卒)。同じく銅メダルの青地清二(昭和40年卒)。

そしてアルベールビル五輪の複合団体で三ケ田礼一(昭和64年卒)が金メダル。リレハンメル五輪のジャンプ団体で西方仁也(平成3年卒)が全選手中、最高得点を稼ぎ銀メダル獲得の立役者となった。


全日本学生スキー選手権の会期

編集中



全日本学生スキー選手権の軌跡

昭和3年の第1回大会(青森県大鰐町)から参加した全日本学生スキー選手権大会で、明大が念願の総合優勝を遂げたのは第9回大会(山形県米沢市)だった。以後今日までに17回の総合優勝を飾り、全日本選手権、国体などの国内大会での数々のタイトル獲得。世界選手権、オリンピックに多くの選手を送り出してきた。



全日本学生スキー選手権 成績一覧

編集中


全日本学生スキー選手権 優勝者一覧


合宿所

正面入口

★スタイリッシュな外観が印象的な新合宿所★

明治大学体育会スキー部の新たな活動拠点となる合宿所の新築工事竣工式が9月11日、東京都中野区の新合宿所にて執り行われた。日髙憲三理事長、三木一郎学務担当理事、松本隆栄総務担当理事ら大学役職者や、スキー部の木谷光宏部長、成田収平監督、OB会「駿台スキー倶楽部」関係者が多数列席し、設計・施工を担当した大成ユーレックの役員らとともに完成を盛大に祝った。

中野区の閑静な住宅地内、旧合宿所の跡地に建てられた新合宿所は、「部員の快適な生活」をデザインコンセプトとして重視。地上3階建て、延床面積は470.90㎡で、「シュプール(スキーの滑降跡)」を連想させるS字型形状のバルコニーが印象的な外観となっている。また、旧合宿所の歴史と伝統を受け継ぐ木製の看板(館名板)が、スタイリッシュな建物とは好対照な重厚感をかもし出している。

内部は、1階に部員のコミュニケーションの場となる食堂や、体力づくりの拠点となるトレーニングルーム、監督室などを設置し、2・3階には日当たりもよく明るい色調の部員居室を配置している。

竣工式は神事、施設見学、直会(なおらい)の順に進み、直会では冒頭に日髙理事長があいさつ。「教育・研究はもちろん、“スポーツの明治”としても社会から支援・支持される明治大学となるよう使命を果たしていきたい。この建物にも、その使命を果たす一翼を担ってほしい」などと期待を寄せた。その後、関係者への感謝状や記念品の贈呈に続き、三木学務担当理事の発声で列席者が乾杯。スキー部の新たな門出を喜ぶとともに、今後ますますの活躍を楽しみにする声があちこちで聞かれた。


★玄関

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★トレーニングルーム(通称バックダイ)

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★食堂&キッチン

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★洗面所&洗濯室(乾燥器もあります)

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★浴室

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★シャワー室(3室)

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★トイレ(2階・3階)

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★洗浄器付

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★部屋(勉強机)

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★部屋(ベッド)

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★部屋(エアコン付)

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一般部 監督紹介

氏 名  豊原 俊哉

学 歴  明治大学 商学部商学科 1984年(S59)3月 卒業



一般部 コーチングスタッフ

コーチ

 大野 高峰(東京都)

 熊谷 賢一(北海道)

 内田 友来(アメリカ合衆国 ロサンゼルス) 


一般部の歴史

明治大学体育会スキー部一般部、らいちょうスキークラブ誕生のいわれ

明治大学体育会スキー部一般部は「スキーに憧れる学生のために道をつくる」ことを目的として、昭和35年にアルペン、ジャンプ、ランナー、複合の4部門に加えて設立された。

明治大学体育会スキー部員は卒業後全員が駿台スキー倶楽部に加盟するが、当時駿台スキー倶楽部は東京都スキー連盟に加盟していなかったために大会に出場することや検定を受けることが出来なかった。

このため大会への出場や検定を受けることを目的とし、新たに東京都スキー連盟に加盟するクラブをつくるために自由意思により入退会できる任意団体として昭和39年11月立山合宿において「らいちょうスキークラブ」は生まれたのである。

しかし当時一般部卒業生は都連加盟に必要な最低人数の30名に達していなかった。そこで現役部員を加えることによって30名以上に達し出発したのである。

こうした経緯によってらいちょうスキークラブはOBOG、現役を含めて行動を行うクラブとなったのである。

名前の由来は当時宿泊していた立山の「らいちょう荘」の名前を頂き「らいちょう」スキークラブとなった。

誕生から2年後、らいちょうスキークラブは昭和41年11月29日に正式に設立され、同年12月8日に東京都スキー連盟への加盟も認められた。